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  • コラム

北部・桃園で日本統治時代の名残垣間見る 豊かな自然が育んだ歴史と文化

2018/08/04 05:48

空の玄関口、桃園国際空港があることでおなじみの桃園市。台北都市圏に隣接していながら、市面積のおよそ3分の1は山地が占め、豊かな自然に恵まれている。市内には淡水河の支流、大漢渓が流れており、川沿いに暮らす人々は古くから水と共に生活を営み、文化を築いてきた。大漢渓中流に位置する石門ダムは、日本統治時代に作られた灌漑(かんがい)施設が基になっており、当時の名残が垣間見られる。記者は6月下旬、桃園市政府の招きで同地を訪れた。

付近の高台から望む石門ダムの施設の一部。記者が訪れた6月下旬には熱気球フェスティバルが開催されていた。

付近の高台から望む石門ダムの施設の一部。記者が訪れた6月下旬には熱気球フェスティバルが開催されていた。



▽日本統治時代のかんがい施設が基になった石門ダム

石門ダムの基になったのは日本統治時代に作られた灌漑施設、桃園大シュウだ。日本から派遣された水利技師、八田与一らの指導の下で建設された。この地域は四季の雨量の変化が大きく、台風が来れば水害、雨が降らなければ干ばつと、たびたび災害に見舞われていたという。桃園大シュウは1916(大正5)年に着工し、8年の歳月をかけて完成した。戦後、国民党政権が台湾を接収してからより現代的な灌漑施設であるダムの建設が始まり、1964年に完工。貯水量は2億700万立方メートルに及ぶ。(シュウ=土へんに川)

大漢渓中流にそびえる石門ダムと雪山山脈の山々。

大漢渓中流にそびえる石門ダムと雪山山脈の山々。

同ダムでは遊覧船に乗って、豊かな自然を満喫することができる。ダムの貯水池内に設けられた埠頭から船に乗り込めば、窓から流れ込んでくる風に吹かれながら、悠々と景色を楽しめる。

今年は雨が少ない空梅雨傾向が続いたため、ダムの水位は満水時より低く、岩肌が露出していた。しかし、渇水期だからこそ見られる光景にも出会えた。「夢幻草原」と呼ばれるダムの中の草原だ。普段はダムの底に沈んでいるが、水位が下がると、水を吸った肥沃な土壌から草が生えてくるのだという。

ダムの中に突如現れた「夢幻草原」。

ダムの中に突如現れた「夢幻草原」。

船でさらに奥の方へ進んでいくと、岩肌にところどころ穴が開いているのが見えた。これは日本統治時代に作られた通路で、当時、日本人から指示を受けた先住民が中に入って工事を行ったのだという。

満水時、水位は木が生えているところまで上がる。露出した岩肌には日本統治時代に掘られたという通路の入り口が見える。

満水時、水位は木が生えているところまで上がる。露出した岩肌には日本統治時代に掘られたという通路の入り口が見える。



▽ダムから生まれた美食文化「活魚」

ダム周辺では「活魚」と書かれたレストランが多く見られる。活魚といっても、すしや刺身のことではなく、ダムで育った淡水魚を煮たり、焼いたりとさまざまな調理法で食する料理全般のことを意味する。

老舗「磊園」の活魚料理の数々。

老舗「磊園」の活魚料理の数々。


豊かな自然環境から、ダムの底には普通より大きな魚が多く育ち、これらの魚をおいしくいただこうとさまざまな調理法が発達した。ダムの水質が良いため、淡水魚特有の臭みがないことで知られていたという。現在は、ダム以外の場所で養殖された魚が使われていることが多く、調理されるのはソウギョやアオウオが一般的とされている。

活魚の老舗「磊園」では、別の場所で育った魚をダム付近の池に移し、ダムの水で2~3カ月飼育してから調理するという。店の人は、ダムの上質な水で飼育することで、魚の身が引き締まり、臭みも抜け、より良い味になるのだと話す。

▽日本統治時代の建物が残る大渓老街エリア

石門ダムからほど近い大渓老街付近には日本統治時代の建物が複数残されている。大漢渓沿いにある「大渓木芸生態博物館」は当時の警察官宿舎などを再利用した施設。大渓で盛んな木工産業の紹介などを行っている。

左は日本統治時代の「警察課長官舎」。右は日本統治時代に警察宿舎として使われていた建物。武道場「武得殿」につながっている。

左は日本統治時代の「警察課長官舎」。右は日本統治時代に警察宿舎として使われていた建物。武道場「武得殿」につながっている。


同館職員によると、清朝時代や日本統治時代には物資の輸送に河川が使われていたため、台湾海峡につながる淡水河の支流である大漢渓は貿易において重要な役割を担った。主要な行政機関の多くは川沿いに設置され、日本統治時代には警察官宿舎のほか、役所や市民の集会が行われた公会堂などもあったとされている。

水運の発達により、物資の運搬の拠点となった大渓には繁栄がもたらされた。台湾五大家族に数えられる林家や、米穀の売買で富を築いた李家が大渓に移り住んだことで、この地で商売がより活発に行われるようになったという。また、これらの名家の邸宅や家具を制作する中で木工芸も発達。大渓を代表する伝統工芸に成長した。

日本式建築の前に設置されている大渓老街を模して木で作られたベンチ。職人の手作りだという。

日本式建築の前に設置されている大渓老街を模して木で作られたベンチ。職人の手作りだという。


だが、鉄道の普及により、物資の運搬における河川の重要度が低下。ダムができたことで大漢渓の水が枯れたことも影響し、戦後、同地の水運は衰退。大渓一帯は次第に活気を失っていった。市は近年、これらの豊かな歴史背景を観光資源として活かそうと歴史的建築物を修復し、地域の活性化につなげる取り組みを進めているという。

これらの建物のすぐそばを流れる大漢渓。かつては水運が盛んだったが、ダムができたことで水は枯れ、陸地が顔を出している。

これらの建物のすぐそばを流れる大漢渓。かつては水運が盛んだったが、ダムができたことで水は枯れ、陸地が顔を出している。

日本式建築のそばにある蒋介石像。日本統治時代に皇民化政策の重要拠点とされた大渓の公園は戦後、蒋介石の功績をたたえる「中正公園」に改められた。台湾の多様な歴史を物語っている。

日本式建築のそばにある蒋介石像。日本統治時代に皇民化政策の重要拠点とされた大渓の公園は戦後、蒋介石の功績をたたえる「中正公園」に改められた。台湾の多様な歴史を物語っている。



▽美しい景色をバックに舞い上がる色とりどりの熱気球

石門ダムでは6月23日から7月1日まで熱気球フェスティバルが開催されていた。今年で開催3年目となる同イベント。ダムと自然が織りなす景色をバックに色とりどりの熱気球が空に舞い上がる景色は壮観だ。

山々を背景に色とりどりの熱気球が舞い上がる。

山々を背景に色とりどりの熱気球が舞い上がる。


関連記事:桃園で熱気球フェス 空から石門ダムと自然が織りなす景観を一望/台湾 

記者が訪れた24日は快晴。朝5時半にもかかわらず、会場にはすでに多くの人が訪れていた。この日、熱気球の搭乗体験に参加することができた。熱気球がゆっくり上昇していくにつれ、地上は次第に遠ざかる。高度が上がるごとに視野が広がり、上空からはダムや周辺一帯の景色が一望できた。

気球の高度が上がるにつれ、地表は次第に遠ざかり、人の影もどんどん小さくなっていく。

気球の高度が上がるにつれ、地表は次第に遠ざかり、人の影もどんどん小さくなっていく。

上空からの景色。眼前にはダムの減勢池や緑豊かな景色が広がる。

上空からの景色。眼前にはダムの減勢池や緑豊かな景色が広がる。



また、今年のイベントでは、全長41メートルの巨大な飛行船が登場。真っ赤な飛行船がゆったりと向こう岸から飛んでくる様子に多くの人々が歓声を上げた。

今年の熱気球フェスの目玉の1つ、全長41メートルの巨大飛行船。(桃園市政府提供)

今年の熱気球フェスの目玉の1つ、全長41メートルの巨大飛行船。(桃園市政府提供)

 

夜には、熱気球のライトアップショーが開催された。大音量で流れる音楽のリズムに合わせて、ライトとバーナーが広場に一列に並んだ熱気球を明るく照らす。この日は多くの観衆が会場に詰め掛け、刻一刻と色が変わる熱気球にカメラを向けていた。

熱気球のライトアップショー。会場を取り囲む大勢の観衆が刻一刻と色が変わる熱気球にカメラを向ける。(桃園市政府提供)

熱気球のライトアップショー。会場を取り囲む大勢の観衆が刻一刻と色が変わる熱気球にカメラを向ける。(桃園市政府提供)


(楊千慧) 

 


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