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五輪に参加した最初の台湾人 「日本代表」として大舞台に

2019/07/24 14:17
張星賢さん=中華民国陸上協会提供

張星賢さん=中華民国陸上協会提供

(台北 24日 中央社)2020年の東京五輪開幕まで、24日でちょうど1年となった。日本人が初めて五輪に参加したのは1912年のストックホルム大会だが、それから20年後に開かれた1932年のロサンゼルス大会が台湾出身選手が参加した最初の五輪となった。当時、台湾は日本の統治下にあったため、台湾選手は「日本代表」として世界の大舞台に立った。

台湾出身者として初めて五輪出場を果たしたのは、陸上短距離選手の張星賢さんだ。張さんは日本統治時代の1909年、中部・台中に生まれた。幼少期から運動が得意で、サッカーやテニス、野球などに親しんでいた張さんは、台中商業学校(現台中科技大学)在学中、日本人体育教師の指導の下で陸上競技で頭角を現した。在学中には台湾代表として明治神宮競技大会に参加するなどして活躍した。

卒業後、張さんの陸上選手としてのキャリアは十字路を迎える。就職先の鉄道部台北工場は従業員のスポーツ活動参加に非常に熱心だったものの、給料が十分でなく、専門性を持つコーチの指導や練習環境も満足に得られなかったため、成績は伸び悩んだ。

1930年代初頭、張さんは早稲田大卒の日本人陸上選手からの紹介や日本で富を築いた同郷の有力者、楊肇嘉さんからの金銭援助を得て早稲田大への進学を決めた。ここから張さんの輝かしい陸上人生が始まる。

早大在学中、整った環境と練習プログラムに恵まれたこともあって、1932年ロス五輪の日本代表を選抜する大会で好成績を記録し、日本代表の座を射止めた。

張さんはロス五輪と1936年ベルリン五輪に出場した。ロス大会では男子400メートルと400メートルハードル、ベルリン大会では1600メートルリレーに出場したが、いずれも予選落ちに終わった。

引退後には後進の育成に励んだ張さん。1960年ローマ五輪銀メダリストの楊伝広さんや1968年メキシコ五輪銅メダリストの紀政さんなどを育てた。

張さんは台湾の陸上界の成長に尽力したが、1964年東京五輪の台湾代表団コーチを務めることは叶わなかった。張さんは当時、無念にもこう尋ねるしかなかったという。「なんで私を派遣してくれないのか」。張さんは1989年にその生涯に幕を下ろした。

(龍柏安/編集:名切千絵)


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